放射線診断科

<診療内容>
1.放射線医の仕事
 放射線科医の日常業務の大半が画像読影です。各診療科の医師から依頼された画像を展開し、異常所見を指摘して画像診断レポートを作成します。

 この際、読影結果が患者さんの診断、治療に大きな影響を与える事を肝に銘じ、慎重に所見を拾い上げ、その裏付けを確認しながらレポートを仕上げます。単純X線写真、CT、MRI、超音波検査などの医用画像は、本当に多くの情報を我々に与えてくれます。いち早く大切な情報を読み取る事が放射線診断医に求められている事だと思っています。診断への近道は治療への近道。不要な検査を省き、必要な検査のみを進めて診断に導くことも放射線科医の仕事のうちです。主治医が想定していなかった疾患を発見した場合や、急を要すると判断したときは速やかに主治医に連絡するようにしています。よりよい治療法が選択できるように種々の診療科医師と連携する事が、患者さんのより早い回復にもつながると信じています。

 また画像の読影だけでなく、撮影においてもスキルが必要です。主治医からの依頼書に書かれた目的や、対象臓器に合わせた撮影方法を放射線技師とともに検討したり、患者さんの体格や腎機能・肝機能・甲状腺機能に合わせた造影剤の投与量や撮影タイミングを指示したりします。さらには検査時の患者さんの急変や造影剤の副作用が発生した場合の緊急対応、主治医とのコンサルトなども行います。

 昨今のCT画像はディープラーニングを用いたAIによる再構成が行われ、以前から使用されているフィルターバックプロジェクションの多種あるフィルター関数とは違った擬似画像ですので読影には更に注意が必要です。
 最近法改正も行われましたので、術者の放射線被曝だけでなく、患者さんの検査による被曝の管理も行い、安全な検査を心がけています。

2.医師として放射線科を選択した事
 医学生の時、臨床研修で各科を体験しましたが、一番印象に残ったのが放射線科でした。当時は外科手術、内科的化学療法、そして放射線治療が癌治療の3つの要でした。一人の患者さんに対し他科の医療スタッフが協力し合い診断治療を進めていく集学的医療が始まったばかりの頃でした。大学で研修が終了し、放射線専門医試験に受かった後、退職するまでのあいだ放射線治療に携わる事が出来たのはとてもいい経験だったと思っています。 

 37年前、初めて放射線科の読影室に足を踏み入れた時の衝撃は今でも忘れません。薄暗い部屋の壁一面にモンスターと呼ばれる巨大な電動シャーカステンが並び、それに掛けられたおびただしいCTフィルムを前に腰をおろした放射線科医師たちが、ディクターフォンに各々読影結果を吹き込む作業をしていました。しばしばかかってくる他科の医師たちからの電話に対応する姿は、さながら艦橋にある司令室のような印象を受けたものです。 

 医師になり、短いながらも救命救急センターに勤務していた時、「もし自分の診断、判断が間違っていたら」と、その緊張感と重圧は耐えがたいものがありました。「臨床医はとかく孤独なものだ」と学生時代、小児外科の先生が自分に語ってくれた言葉が思い出されました。また自分が研修医時代、先輩医師に頼り切っていたときも「自分が最後に診る医者だと思え」(この後に見てくれる医者はいない)と諭され、心にしみました。 

 大学で放射線科に入局した当初は、毎日の業務の多さに閉口しました。
 自分一人では解決できない問題も多く、とてもありがたかったのが、熟練医師が必ずと言っていいほど夜中まで読影室に一緒にいて、相談に乗ってくれた事です。また決まって遅い時間に他科のベテラン医師たちが訪ねてきて熱心に画像について検討していました。臨床医にとっては日常のルーチン業務が終わった後の時間こそが本番なのかもしれません。その場に残って業務をしていた同期の医師も自分の仕事を一時中断して、そこに集まってきて耳を傾けていました。いつのまにか他科の専門家が集まって意見を交わし合う臨時のミニカンファレンスの状態になり、ほんとに充実した時間でした。毎日多くの事を学んだ気がします。放射線治療を任された時も、oncologist for tomorrow(明日を担う腫瘍医の会)と称して、耳鼻咽喉科・泌尿器科・婦人科などの若手医師が集まって科の壁を取り払い、癌患者さんの治療について熱く語り合ったことを思い出します。今も一人で読影している時が一番集中し、充実感がありますが、時々そんな昔のことを思い出しながら、他科の先生方の負担が少しでも減るようにとレポート内容を工夫しています。特に「臨床医の孤独」が少しでも解消されればと願っています。

名前役職卒業年次専門医・指導医など
渡辺(わたなべ) (たかし)健康管理部長
放射線診断科医長
昭和63年日本医学放射線学会放射線診断専門医
日本医師会認定産業医
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